記憶の共有は縁の結び目

ライター角田奈穂子の「雑な生活」ほぼ日記

あっという間にゆるゆるのマスク生活

3月13日からマスクの着用が個人の判断に委ねられるようになった。仕事柄、不特定多数の人と会うし、新型コロナ感染症に感染したら、スケジュールにも影響が出るので、そうは言われても、マスク生活を続けようと考えていた。

人は人、自分は自分と思っていたはずなのに、毎日のようにニュースなどで、「それぞれの判断に任せるからね」と聞かされていたせいで、気がつくと、2月頃よりだいぶマスクをかけることへの意識が弱くなっている。玄関から外に出る瞬間に、「マスク、マスク!」と取りに戻ることが増えてしまったのだ。

マスク生活の間は、マスクが汚れるのが嫌で、口紅をつけなかったのだが、最近は、マスクをつけることがわかっているのに、薄い色の口紅をつけるようにもなってしまった。

外出中も室外では外している時間が増えた。あっという間に心のなかにあった制限が取っ払われていることに、驚いている。

マスク生活が嫌だったか、と言われると、そうでもなかった。花粉症などのアレルギー持ちではないので、新型コロナが流行る前はマスクと無縁生活。突然、始まったマスク生活に最初は慣れなかったが、仕方がないと思っていたし、顔が半分近く隠れるというのは、人目につかないような気がして、「精神的に楽」と思っていたくらいだ。

それでも、「しなくてもいいよ」と言われると、こんなに早く心理状態が変わるものなのだ。人は「忘れちゃダメ」という行動制限は負担になるけれど、「忘れてもいいよ」という解放には、スパッと慣れてしまうのである。