記憶の共有は縁の結び目

ライター角田奈穂子の「雑な生活」ほぼ日記

つかまえきれないオオタニさん

 

勝戦から10日以上経ち、ペナントレースも始まってるのに、大谷翔平さんのすごさをどう受け止めたらいいのか、考えているワタクシ。とにかくスゴい!のはわかるのだが、どれくらいスゴいのか、自分の脳の収納庫に収まりきらなくて、右往左往している感じなのだ。

WBCの位置づけも収まりどころがなくて、「こういう大会」と整理できていないのも困る。オオタニさんもWBCも教科書的な概要はわかるけれど、体感として腑に落ちてないのだ。

大谷くんにまつわる本や雑誌を読みつつ、あれこれ考えている日々を経て、今までの経験から、コレが一番、近いかも、と思ったのが、テニスプレイヤーのシュテフィ・グラフだった。彼女の全盛期は手がつけられないほど強く、勝敗の結果より、どれくらい短時間で試合が終わるかのほうが話題になったくらいだ。野球界の位置づけでいうと、あのくらいのすごさ?と想像してみたら、なんとなく収まったような気がする。

WBCについては、「LIVE AID」だな、と思った。今ではQUEENのステージがすっかり有名になっているけれど、「LIVE AID」は、イギリスとアメリカにメインステージが用意され、それぞれのステージに人気ミュージシャンが立った。チャリティライブが1980年代では珍しかったこともあって、「ライブの意味がわかってるのかな?単なるフェス的ライブだと思ってるのかな?」というミュージシャンがいたり、イギリスとアメリカを比べると、アメリカのほうがイマイチな演奏が多かったり、という、バラバラ感のあるライブだった。

WBCも国によって熱量の違いがあるし、選手たちのレベルもまちまちだし、という、統一感のなさが、「LIVE AID」の雰囲気と似てるかもなぁと思ったのだ。イギリスステージとアメリカステージの温度差は、日米の違いにも通じるものを感じたし。さまざまな国が集うイベントを継続して盛り上げるには、なかなか時間がかかるものなのだなぁとも思っている。

それにしても、面白い試合だった。日本シリーズも短期決戦でハラハラするのだけど、国によってプレースタイルが日本とは違うこともあって、また別の野球の面白さを教えてもらったと思う。

一つ残念だったのは、中継のうるささ。ライブではTBSとテレ朝で観ていたけれど、あとからAmazon Primeで観たら、Amazonのほうが断然、よかった。ただし、スタジオは解説陣以外は、いらなかった。ラジオの野球中継でおなじみの斉藤一美さんだったので、絶叫もなく(たまに、さすがに興奮してたけど)、星崎智也さんら解説陣と、選手の細かいデータを交えながら実況してくれるのが、「さすがプロ!」と思った。

スポーツ中継が絶叫型になったのは、古舘伊知郎さんの実況が受けてからという話もあるけれど、古館さんがそれをやったのはプロレスだった。誰にでもできる技術ではないし、どのスポーツにも合うわけではない。

視聴者は、広告コピーのような決めゼリフばかりの実況を聞きたいわけではないのだよ。選手データの勉強が足りないと思う。

JスポーツやDAZN、海外のスポーツ中継とか、そのスポーツへの理解が深まる実況と解説の質のいい番組も観られる時代なのだから、地上波の実況スタッフは、もうちょっとお勉強して欲しいと思う。

テロップも多過ぎだった。スポーツ中継は、リアルタイムに試合を見せるだけで十分、訴えるものを持っている。バラエティ番組並みにテロップを画面に出しっぱなしって、どういう意図なんだろう。それくらいしつこく伝えないとわからないと考えているのなら、視聴者をバカにしてるのかな?って思ってしまうのだ。