2月26日の昨日、渋谷のハチ公前広場で開かれたウクライナ侵攻反対デモに参加してきました。在日ウクライナ大使館のTweetを見たのがきっかけです。
政治にも国際問題にも疎く、ライターとしても「政治経済以外なら」と仕事をし、漫画の「20世紀少年」ならぬ20世紀少女としてぬくぬくと生きてきた私が、なぜに人生初のデモに参加したのかといえば、やはり、この侵攻を見て見ぬ振りはできないという気持ちからでした。これまでもさまざまな紛争があり、日本にも数多くの社会問題があり、それは見逃してきたのに、なぜここで、と自分でも思うのですが、仕事のプロジェクトで、たまに遭遇する「さすがにコレはヤバいだろう」という危機感のアンテナが立ってしまったと言うしかないです。
日本のニュースは、ロイター経由など、ほぼ通信社からの2次、3次情報。これはBBCかCNNを見るしかないと、24日の夜から我が家のTVはBBCとCNNばかりが流れています。ちなみにHulu経由なら、月額1026円でBBCニュースとCNNの同時通訳付き映像が見られます。月額料金のなかで、ドラマや映画も見られるので、ちょっとのぞいてみたいという人にはよいのでは、と思います。余談ですが、Huluオリジナルドラマの「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」はオススメです。
日本のニュースを見ていると、ピンポイントの時系列での情報しか得られませんが、BBCやCNNは、現地に記者とスタッフが派遣されているので、戦況だけでなく、ウクライナの人々が今、どういう状況に置かれているかのインタビューがバンバン流れてくるので、より情報が精細にわかります。さらに、軍事や経済など、専門家へのインタビューもあるので、なぜウクライナ侵攻が国際的にも道義的にも問題なのか、日本へどういう影響を及ぼすのかも理解しやすい。イギリスとアメリカの報道の仕方の違いから、英米がどういうスタンスに立っているのかも、わかります。
そんなニュースを見ていると、他人ごとじゃなく、このままほうっておけば、確実に自分のささやかな生活も侵害されると感じるばかりでした。軍事と経済の国際的な問題だけでなく、社会のあり方の根本がゆらぎ、個人として自由に生きる権利も侵害されかねないと感じたのです。
とはいえ、一人で初めてのデモ参加。半分、のぞきに行ったと言ったほうが正直な気持ちです。ウクライナの旗をプリントしたプラカードを持っていきましたが、出がけの直前に出力したら、色が濃すぎて水色は青く、黄色はオレンジ色に近い。しかし、印刷し直す時間はない、というていたらく。
新型コロナの感染も心配だし、デモで万が一、感染してしまったら、今後、大打撃です。唯一、安心材料だったのは直前の抗原検査でもPCR検査でも陰性が分かっていたので、自分の行動がおそらくではありますが、集まった人に感染を及ぼす心配はないだろうということでした。
広場に到着したのは、開始時間の午後1時少し前。すでに広場には多くの人が集まっていて、私が立てたのは、集団の後方。広場でいうと、JR渋谷駅近くの交番とハチ公の銅像の間くらいです。
ここで私が大きな勘違いをしていたのは、デモというものは、行進するものだと思い込んでいたこと。広場に集まって、午後1時になったら、どこか(ロシア大使館?)に向かって歩くのだと思ってたのです。日本は道路使用が厳しいし、許可がよく取れたなぁなどと思いながら広場に向かったくらいですから、いかにデモ初心者かが分かります。
そして、午後1時を過ぎ、なんとなく始まった集会。音響設備の手配が遅れているとのことで、最初は拡声器を使ってのスピーチから始まりました。ウクライナ人の女性や日本人の方など、数人が立ちましたが、言うべきことは、一つだけ。ロシアの侵攻に反対し、ウクライナの人たちを助けて欲しい、ということに尽きます。
スピーチしているところも人垣や掲げたプラカードでまったく見えず、音声だけを聞く状態でした。スピーチの合間に流れたのは、ウクライナ国歌と、ウクライナで国民的人気があるというロックバンドの曲。どちらも初めて耳にしました。ロックバンドの曲は、後から調べたところ、「Okean Elzy(ウクライナ語:ОкеанЕльзи)」というバンドの「Bez Boyu(ウクライナ語:БезБою)」という曲だったようです。
集会のなかで、私の周囲には日本人のほうが多かったのですが、斜め前にいたウクライナ人の女性が国歌を歌いながら、泣き崩れる姿には、「なぜこんなことに」と思うことしかできませんでした。
シュプレヒコールは、何度か上がりましたが、コロナ感染をおもんばかって、それほど回数は多くなく、声を上げる人も少なめでした。そのなかでも、胸が痛かったのが、「ウクライナに銃を送って」という呼びかけです。圧倒的な武力による侵攻を今すぐに食い止めるにはそれしか手段がない状況とは分かっていても、銃をちらっと見かけるのが警察官と通り過ぎたときくらいの日本人にとっては、気後れするしかありません。それほど追い詰められている状況であること、日本とウクライナで生きる人との意識の違いを突きつけられ、現場を自分の目と耳で知ることの大切さを痛感しました。
TVクルーや取材をする人も見かけました。その様子を見て、「おそらく絵になるところが切り取られるだろうなぁ」と思ったのですが、報道で使われた写真や映像は上空からの様子、プラカードを持っている人のアップが多かったようですね。
私は後から参加した人が増えてきたことと、暑さもあって、1時40分頃に集団から抜け、後方のほうから見ていました。なので、デモ終盤の密度はわからないのですが、私がいた間は、風が抜けるのを感じるくらい人と人との間隔はそれなりにあり、満員電車のようにギュウギュウに密になるということはありませんでした。主催者も、定期的に間隔を開け、密を避けるようにアナウンスしていました。人が集まりすぎたので、警察の指示もあり、デモは予定より1時間早く終了。その場に立ってウクライナの旗やメッセージを書いたプラカードを持ち上げるという、全体的には静かなデモだったと思います。
後方に移ってから、一つ印象的なことがありました。広場のなかに高台になった樹木用の花壇があり、男性ならガッと力を入れれば登れる高さですが、女性だと、手をかけて、よっこいしょとよじ登らなければならないくらいの高さがあります。そこが後方から一番、見やすい位置で十数人くらいの人が上っていましたが、私は花壇の横にあるベンチの近くに立っていました。
デモ中心部の動きもまったりしてきた頃、一人の欧米系の女性が花壇から降りようとしました。高さがあることと、ベンチが邪魔になり、飛び降りるのはちょっと考えてしまう状態です。思い切って飛び降りるかな、と場所を空けながら見ていたのですが、やはり一人で降りたら転倒しそうで困った様子。なんとなく私もぼーっとしながら、瞬間に手を出していました。それで、彼女は私の手をつかんで降りることができたんですね。
「ありがとう」と2回も言われてしまいましたが、「いや、私がもっと動いて、場所を空ければよかったのかも」とか、私もなんだかぼーっとしてるなぁ、などと思った、ささいなできごとなのですが、後から、私がデモに参加したのも、このことと同じかもな、と考えました。
目の前に困っている人がいるから、ちょっと手を差し伸べてみようと行動してみただけなんですよね。デモに参加していた他の人に比べれば、私のモチベーションはとても低いものでした。
ただ、日本の報道だけを見ていたら、デモに参加しなかっただろう、と思います。海外ニュースをリアルタイムで簡単に視聴することができ、ネットを通じて現地情報も手に入ることが、コロナ感染への不安と秤に掛けても、渋谷まで行こうという気力につながりました。
それと、もう一つ、時代の影響も大きかったとも思います。
2月に入ってからのウクライナ情勢には、ちょいちょい目は向けていたのですが、私にとって24日のロシア軍による侵攻は、国際問題としては、9.11の世界貿易センタービルに旅客機が突っこんでいくのをニュース番組を通してリアルタイムで見てしまった瞬間より、ショックを受けた気がします。
あの当時の日本は今よりも活気があり、今ほど息苦しくありませんでした。世界情勢も善と悪の構造がもっと単純でした。NYに友人がいたので心配もしましたが、それでもアメリカ同時多発テロと自分の生活は遠いものでした。でも、今回のウクライナ侵攻は、自分のすぐそばにある危機のように感じられます。
それは、9.11から21年の間に、私も「半分当事者」の東日本大震災があったことの影響が大きいと思います。災害と侵攻という違いはあっても、ささやかに日々を生きてきた人たちの暮らしがある日を境に突然、壊されかかっているという状況は、どうしても、東日本大震災と重なるのです。
そして、昨今の全体主義が力を増してきた状況です。私は現役で働く人たちのなかでも、親世代が戦争を経験してきたギリギリの世代なのかもと感じています。親からはそれほど戦時中の苦労を聞いたことはありませんが、それでも、生活や行動が制限され、軍需工場で働かされたことは知っています。その歴史を経て、自分は自由を謳歌し、それなりに日本のいい時代を生きてきました。
自分では、仕事の現場などで全体主義的な圧力やジェンダー問題に遭遇したとき、抵抗してきたつもりですが、今の状況を考えると、まったく力にならなかったのかと、無力感さえ覚えることがあります。では、今の自分に何ができるかというと、日々の暮らしを守るほうが重要で、人様を助けることなんて、とてもできないとも考えてしまいます。
それでも、高台から降りられず、ちょっと困っていた女性に手を差し伸べたように、ささやかでしかないけれど、今までやってこなかった自分ができる行動を起こすことが、ほんの少しでも、これから私より後の時代を生きる人たちの生きやすさにつながるかもしれない、と信じるしかないかなぁ、と思うのです。