記憶の共有は縁の結び目

ライター角田奈穂子の「雑な生活」ほぼ日記

「新撰組!」で思い出す2000年代の抑うつ感

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時代に翻弄される庶民の生きざまドラマ

 

映画2本を見たあと、2日夜は、さらに大河ドラマ新撰組!」総集編を鑑賞。第3部が終わるのが夜中なので、録画予約していたのに、結局、最後までしっかり観て、がっつり泣きました。

今日も録画を見直したのですが、2004年の大河ドラマでしたかぁ。そんなに前だったかなという気もしますが、時を経てみると、若者の群像劇というだけでなく、「頭のいい人たち」に翻弄され、夢を描きながら、押しつぶされた庶民の生きざまドラマとしての側面も強く感じるなぁ、とまた別の感想を持ったりしました。

 

2000年代に執筆が増えた抑うつテーマ

そういえば、このドラマが放映されていた前後は、うつ病の原稿を毎月のように書いていた覚えがあります。「プチうつ」の言葉をよく使っていたのも、この頃。と同時に、どうやって自分の体をケアするかテーマも増えたなぁと。

それまで一部の人の問題として捉えられていたり、水面下で語られていた抑うつ状態が社会問題として広く共有されるようになってきた時期なんですよね。

今の社会の分断による行き詰まり感ともちょっと違う、まだ希望はあると信じながらも、どん詰まり感が強くなっていた気がします。

TVドラマも90年代は、まだなんとか夢を追うことができたけれど、2000年代は、夢を抱いて努力をしたけど、うまくいかずに挫折し、後ろ向きになっていた主人公が、さまざまな人との出会いを通して、他の生き方を見つけ、それでも生きていく、という内容が多かった印象があります。長瀬智也君の出演作のなかでは目立たないけれど、彼の演技と一色伸幸の脚本がもっと評価されてもよかったのでは?と思っている佳作「彼女が死んじゃった」も2004年のTVドラマでした。

デスゲームドラマの流行を先駆けた「バトルロワイヤル」の映画版は2000年公開。少年漫画、それも「少年ジャンプ」で、こんな漫画が連載され、しかもヒットするのか、と衝撃だった「デスノート」の連載開始は2003年。

1999年からお金の話が増えた出版業界

バブル崩壊後、「失われた20年」と言われ、庶民の暮らしが苦しい方向へ変わったと一般的に言われているのは1991年ですが、私の体感としては、1999年なんですよね。

と思ったら、1998年が節目という大和総研のレポートを見つけました。

 

なぜ1999年が記憶に残っているかというと、この年から、編集者が一様に、お金の話をし始めたから。「その著者なら、どれくらいの部数が見込めるのか」「制作費はいくらかかるか」と、お金勘定に疎かった編集者が、コストの話からまず始めるようになったんですよね。当然、雑誌や本の作り方も変わってくるわけで、この頃から原稿料がどんどん渋くなっていったのでした。

そんなことも思い出しながら、「新撰組!」の総集編を観ていました。

 

あまり語られない(気がする)モックン慶喜

新撰組!」は放送当時、俳優が若すぎる(実際の新撰組は、俳優と同年代だった)とか、口調が現代語すぎるとかいう批判があった覚えがありますが、結局、この流れは拡大。時代考証もゆるくなって、「フィクション」としての側面が強くなったという振り返りの確認にも。

それにしても、幕末モノは、徳川慶喜をどう描くかで方向性が決まりますね。昨年、「青天を衝け」で草彅君が演じたこともあって、慶喜=草彅イメージが強いみたいですけど、私は、もっくんこと本木雅弘の印象が強烈にあります。が、「草彅慶喜は、本木慶喜とは、案外、対比されないんだなぁ」「本木慶喜を観ていた人は少ないのかな」と思いながら、Twitterの感想を眺めていたりしました。

(敬称略)